中国のネットメディアが「ダウン症の日本人書家・金澤翔子さんを紹介する」という記事を掲載しました。この記事を見た中国人のコメントをご紹介します。
[記事]
2015年にニューヨークの国連本部で開催された「世界ダウン症の日」記念会議に日本代表として出席しスピーチを行ったダウン症の日本人書家・金澤翔子さんを紹介する。
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[訳者注]
以後、中国語の元記事では「ダウン症の書家」として知られる金澤翔子さんの紹介がなされます。日本語のWikipediaの内容と多くが重なりますので、本記事では日本語のWikipediaの内容を引用して掲載します。引用文の後の写真は中国語の元記事に掲載されていたものです。
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金澤 翔子(かなざわ しょうこ、1985年6月12日 – )は、東京都目黒区出身の書家。母も同じく書家の金澤泰子。号は小蘭(号の場合、苗字は金沢)。「ダウン症の書家」として知られる。
母・泰子が高齢出産にあたる42歳で翔子を出産。新生児期に敗血症にかかり、後にダウン症と診断される。当初はその事実を知った泰子は我が子と共に死のうとも考えたが、夫の熱心な想いと遅咲きながらも少しずつ育っていく子の姿を見て思いとどまったという[1]。
1990年、母に師事し5歳で書道を始める。当初は小学校の普通学級に通っていたが、小学4年の時に別の学校の特別支援学級に移ってほしいと言われ転校。突然転校になったことにショックを受け一時学校に行かなくなったが、母が般若心経を大きな紙に書かせることを思い立ち、翔子は厳しい指導に涙を流しながらも書き続け276文字の般若心経を完成させた(この作品は「涙の般若心経」と呼ばれ、のちに個展で展示されている)。母は「普通学級に通い続けていたら、翔子は書家になっていなかった。苦しい中、般若心経を書いていなかったら、今の翔子はないと思います」と語っている[2]。
1995年、全日本学生書道連盟展に「花」を初出品する。1999年、日本学生書道文化連盟展に「龍」を出品し銀賞を受賞。2000年にも同じく日本学生書道文化連盟展に「延命十句観音経」を出品して銀賞を受賞。2001年、日本学生書道文化連盟展に「舎利札」を出品し、学生書道としては最高位である金賞を受賞。その後、矢口養護学校に進学する。
2002年、日本学生書道文化連盟展に「觀」を出品し金賞を受賞。翌年の高校2年生修了と同時に学校を中退し、荒井裕司が理事を務めるステップアップアカデミー(現・翔和学園)に入学する(中退)。
2004年、書家としての号「小蘭」を取得。貿易会社を経営していた父は翔子が14歳の時に心臓発作で52歳で急逝しており、生前「翔子が20歳になったら個展を開こう」と語っていたことから、遺志を継ぎ翔子が20歳になった2005年に初の個展「翔子 書の世界」を銀座書廊で開催[3]。豪華な図録を作り、帝国ホテルで記念レセプションも開催した。母は「生涯に一度だけ、翔子の個展を盛大に開いてあげよう。結婚はできないかもしれないから、結婚式と披露宴のつもりで、思い切って夫が残したお金を使って最高の展覧会とパーティーをやろうと決意したんです。ここまでやれば、私が倒れ、翔子が施設に入ることになっても認めてもらえるのではないか。そんな考えもありました」と語っている[4]。この個展がメディアで取り上げられ、書家として注目を浴びることとなった。
2006年10月、建長寺に「慈悲」を奉納[5]。
2009年11月、建仁寺に「風神雷神」を奉納。この作品は同寺蔵の国宝「風神雷神図」の隣に展示され大きな反響を呼んだ[5][6]。
2011年、ゆずのシングル『翔』のジャケットの「翔」の字を書く[7]。
2012年1月、福島県いわき市に自身初の常設館である「金澤翔子美術館」を開設[8]。館長となる。
2012年のNHK大河ドラマ『平清盛』の題字を担当した。
2013年、東京・味の素スタジアムで開催された第68回国民体育大会の開会式で、5m四方の紙に「夢」を揮毫。
2014年、紺綬褒章を受章。
2015年3月、ニューヨークの国連本部で開催された「世界ダウン症の日」記念会議に日本代表として出席しスピーチを行った(国連スピーチ フルバージョン)。着ていた白い着物は、18年前に亡くなった母の妹の形見の着物だった[9]。
2015年、30歳を迎えた節目に縦4m×横16mの「世界一大きい般若心経」を書く。静岡県浜松市の龍雲寺で常設展示されている[10]。同年、実家の近所にワンルームマンションを借り一人暮らしを始めた[11]。
2016年、日本福祉大学客員准教授に就任。

記事引用元: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%BE%A4%E7%BF%94%E5%AD%90
コメント引用元: https://comment.tie.163.com/FMOF08I30543MXHF.html
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■ 重慶さん
心無旁騖、持之以恒 [523 Good]
(訳者注:心無旁騖・・・純粋で一つの事にだけ一心であることを示す中国の成語です)
(訳者注:持之以恒・・・長期にわたって堅持する、あくまでやり抜くということを示す中国の成語です)
■ 江蘇さん
ダウン症であっても心には仏の教えが宿っている [322 Good]
■ 安徽さん
最近は見た目は美しいが何が書いてあるのか解読不可能な書が多くて辟易している。この人の書は見た目も美しく、読めるので素晴らしい [107 Good]
■ 広州さん
賛成。美しく、ちゃんと読めるものが正しい書 [221 Good]
■ 江蘇さん
いくら芸術とはいえ、書である以上、ちゃんと読めなくちゃね [22 Good]
■ 北京さん
ダウン症の人ってやっぱり見た目が同じになるんだな [190 Good]
■ 浙江さん
これは素晴らしい!強い気持ちがこもっている! [172 Good]
■ 河北さん
持って生まれたものと強い意志の結合 [124 Good]
■ 広西さん
字は人をあらわす [101 Good]
■ 甘粛さん
書道協会の偉い人が書くようなフニャフニャの書も確実に人をあらわしていると思う [31 Good]
■ 広東さん
書にお金が絡むと一気に怪しくなる [10 Good]
(訳者注:甘粛さんの「フニャフニャの書」の原文は「丑书」(醜い書)です。百度検索で「丑书」で画像検索した結果をいくつか載せておきます)

■ 山西さん
日本人も汉字を書くんだね [27 Good]
■ 上海さん
漢字な。簡体字ではない [48 Good]
(訳者注:汉は漢の簡体字です)
■ 江蘇さん
古代中国のいろいろな文化を日本が受け継いでくれていることは知っていたが、まさか書道まで日本に受け継がれていたとは [36 Good]
■ 河南さん
素直に素晴らしい。中国の怪しい書道家たちよりもずっと素晴らしい [20 Good]
■ 上海さん
美しい [18 Good]
■ 北京さん
書は心で書くものだということを改めて理解した。本当にありがとう [9 Good]
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