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中国紙「日本はフランスから火薬を盗み、東アジアの覇者になった」 中国人「日本は当時から強国だった」 » じゃぽにか反応帳
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中国紙「日本はフランスから火薬を盗み、東アジアの覇者になった」 中国人「日本は当時から強国だった」

 
中国のネットメディアが「日本はフランスから火薬を盗み、東アジアの覇者になった」という記事を掲載しました。この記事を見た中国人のコメントをご紹介します。
 




 
[記事]
「日本はフランスから火薬を盗み、東アジアの覇者になった」
 
 
(訳者注:この中国語の元記事は日露戦争勝利の一因とされる「下瀬火薬」を紹介している記事です。以下、下瀬火薬のWikiの説明です)
 
 
下瀬火薬(しもせかやく)は、大日本帝国海軍技師下瀬雅允が実用化したピクリン酸を成分とする爆薬(炸薬)である。日露戦争当時の日本海軍によって採用され、日露戦争における大戦果の一因とされた。なお、大日本帝国陸軍では黄色薬と呼ばれていた。
 
ピクリン酸は1771年にドイツで染料として発明され、その100年後に爆発性が発見された。猛烈な爆薬であるが、同時に消毒液としての効果もある。 しかしピクリン酸は容易に金属と化学結合して変化してしまう為、鋭敏な化合物を維持する点で実用上の困難があった。下瀬雅充は弾体内壁に漆を塗り、さらに内壁とピクリン酸の間にワックスを注入してこの問題を解決した。なお、日本海軍規格の下瀬火薬は、ほぼ純粋なピクリン酸である。
 
日本海軍は1893年にこの火薬を採用し、下瀬火薬と名付け(後に下瀬爆薬と改称)、炸薬として砲弾、魚雷、機雷、爆雷に用いた。これは日清戦争(1894年-1895年)には間に合わなかったが、日露戦争(1904年-1905年)で大いに活躍した。海軍はただでさえ威力の大きな下瀬火薬を多量に砲弾に詰め、また鋭敏な信管(伊集院信管)を用いて榴弾として用いた。敵艦の防御甲鈑を貫通する能力は不十分だったが、破壊力の高さと化学反応性(焼夷性)の高さから、非装甲部と乗組員に大きな被害を与えた。明治38年(1905年)5月27日の日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を粉砕した一因は下瀬火薬である。
 
下瀬火薬は、メリニット(1885年、フランスのE・テュルパンの発明。純粋ピクリン酸とされる)のサンプルを下瀬が分析し、純粋ピクリン酸を炸薬に用いるアイディアを得て、研究の末に国産化したものとされる。
 
下瀬火薬が実用化された後に、フランスが「新型火薬」を日本に売り込んできた。フランスに派遣された富岡定恭は、「新型火薬」のサンプルの微量を爪の中にすり込んで持ち帰った。この微量のサンプルを分析した結果、下瀬火薬と同様のピクリン酸であると判明したという。
 
記事タイトル・コメント引用元: http://comment.tie.163.com/E477ET1505239C5S.html
 
※ 5個以上のGoodがあるコメントについて、Goodの数を載せています
※ Badの数がGoodの数の10%を越えているものについてはBadの数も載せています
※ 下記コメントで言及されている事柄の事実確認は行っておりません。真偽の判断はみなさまでお願いします
 



 
■ 浙江さん
 
日清戦争当時、清には欧米から爆薬を買うお金がなかったから自国で作った爆薬を使用していたが、あまりに性能が悪く中国船が打った爆弾は命中してもあまり爆発しなかった。一方当時の日本はちゃんと爆発する爆薬を国産で賄うことができた。この差が勝敗を分けたといっても過言ではない [505 Good]
 
 
 
■ 在日中国さん
 
火薬を発明したのは中国だろ? [42 Good]
 
 
   ■ 北京さん
   
   確かに古代の火薬を発目したのは中国だが、だからどうした [125 Good]
   
   
   ■ 黒龍江さん
 
   黒色火薬なんて今では爆竹くらいにしか使われていない [452 Good]
 
 
   ■ 吉林さん
   
   最初に見つけたのが中国だったというだけで、あんなものは時が来れば誰でも発明できる。実際に当時中国と交わりがなかった地域でも火薬の使用跡が見つかっているらしい [10 Good]
 
 
 
■ 江蘇さん
 
立憲君主おめでとう! [37 Good]
 
 
   ■ 雲南さん
 
   さてはお主、憤青ではないな? [56 Good]
 
 
 
■ 河北さん
 
日露戦争は実質的に東アジアの覇者を決める戦争だった。それと同時に、日清戦争後に日本と日英同盟を結んでいたイギリスは満州での覇権を維持するためにロシアの南下を何としても防ぐ必要があり、イギリスは資金援助を含め、積極的に日本を援助した。そのおかげもあり日本はロシアに勝ったものの、ロシアが被った被害は実際は大したことはなく、日本はかなり大きな損害を受けた [33 Good]
 
 
   ■ 遼寧さん
   
   日露戦争の日本海海戦でロシアはバルチック艦隊を失った。ロシアにとってとんでもない損害だ [14 Good]
   
   
   ■ 内モンゴルさん
   
   日本は陸軍は大惨敗で海軍は大勝利 [9 Good]
 
 
 
■ 上海さん
 
日本のドラマ「八重の桜」を見た。日本は当時から強国だった [18 Good]
 
 
 
■ 北京さん
 
日本がアジアの覇者に成れたのは火薬のせいではない。「劣等な社会制度」のせいだ [14 Good]
 
 
 
■ 広東さん
 
日本もイギリスも立憲君主制。社会制度はやっぱり大事 [13 Good]
 
 
 
■ 貴州さん
 
日本は最後の最後で負けちゃったけどな [29 Good]
 
 
   ■ 河南さん
 
   最初から最後まで負けっぱなしの中国はもう何も失うものは無い [14 Good]
 
 
 
■ 黒龍江さん
 
火薬ではなく社会制度のおかげ [10 Good]
 
 
 
■ 上海さん
 
国家の近代化に必要なものは化学と工業化。清朝は非科学的なものばかりに注力し過ぎた [5 Good]
 
 
 
■ 江蘇さん
 
近代中国はありとあらゆる重要な場面で全ての選択をきれいに間違えた。残念だ [10 Good]
 
 
 

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