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在日中国人「11年前のあの日あの時、東日本大震災で私はこのような体験をし、こう変わった」 » じゃぽにか反応帳
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在日中国人「11年前のあの日あの時、東日本大震災で私はこのような体験をし、こう変わった」

 
在日中国人のツイ主さんが3月11日に「11年前のあの日あの時」という記事を中国版TwitterのWeiboに掲載しました。この記事を読んだ中国人のコメントと併せて紹介します。
 
 
 
[記事]
あれからもう11年。11年前の今日、私はもうじき大学を卒業する留学生だった。東日本大震災で、大災害は突然やってくること、死は想像以上に身近にあることを学んだ。
 
東京も数分間の凄まじい揺れに襲われた。私は机の下で机の脚をつかみながら諦めの境地にいた。このビルはすぐに崩れるのだろうか、ビルが崩れたら私は永遠にこの場所に埋まっていることになるのだろうか、彼女(現在の妻)はどこで何をしているのだろうか、無事だろうか、お母さんがテレビでこの地震ことを知って私に連絡がとれなかったら悲しむだろう、などと考えていた。
 
そうしているうちに横にいた一人の日本人が声をかけてくれた。「大丈夫。このビルは日本で最高の建築会社が建てたのだから絶対に大丈夫」。そう言ってくれた彼もかなり緊張しているように見えた。
 
そしてテレビで絶望の場面が数多く放送されだした。いろいろなことが起こりすぎて何が何だかよくわからない感覚になっていた。
 
当時の石原慎太郎都知事が福島に派遣されていた東京消防庁の隊員を前に「本当にありがとうございました。この国を救ってくれました」と涙声で頭を下げていた場面ははっきりと覚えている。
 
多くの在日外国人同様、私も一旦帰国しようと東京入国管理局に出国手続きに行った。入管についたらバス停二つ分の列ができていた。朝8時に行って夜8時に再入国許可を手にすることができた。
 
しかし私は帰国しなかった。その代わり被災地に行った。避難所は外観はボロボロだけど、中はきれいで秩序だって運営されていた。
 
そこでいろいろな話を聞くことができた。悲しい話も心温まる話もあった。避難所には高齢者も子供もいたが、皆一様に落ち着き、現在進行中の大災害のことを話してくれた。
 
東京に戻り、私自身に少しずつ変化が訪れた。私は小さなことで簡単に感動するようになった。常に何かに焦り、お金に異常な執着心を持っていた震災前の私はいつの間にかどこかへ行ってしまった。人の命とは儚く尊いことを私は震災で知った。
 
大震災から11年後の現在、もちろん現在だけではなくいつの時代でも同じだと思うが、生き延びるために一生懸命頑張っている人が地球上のどこかにいることを忘れてはいけない。
 
[訳者注]
震災後の石原元都知事です




記事引用元: https://weibo.com/6094846964/Ljfp41Aix
 
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■ 北京さん
 
2008年に留学で初めて日本を訪れた。日本のコンビニで四川大地震の募金箱を目にしたときの感動は言葉には表せない [54 Good]
 
 
 
■ 浙江さん
 
息子が4月5日に日本に行きます。寂しいし、正直少し不安です [7 Good]
 
 
   ■ ツイ主さん
 
   大丈夫。息子さんは絶対に成長しますよ
 
 
   ■ 上海さん
 
   私の息子は震災の年に日本に留学に行った。震災の影響で入学が5月になった。空港で出国審査に向かうとき、息子は興奮した顔で、3歩進むごとに振り返って私たちに手を振ってくれた。そして1年後、日本に戻る息子を空港で送るとき、息子は全く振り向かなかった。成長したんだな、と感じた
 
 
   ■ ツイ主さん
 
   私のその日を思い出してちょっと泣いた
 
 
 
■ 在日中国さん
 
人の命は儚いけど強靭 [5 Good]
 
 
 
■ 武漢さん
 
看護師。四川大地震が発生した2008年5月12日は看護師の日だった。毎年看護師の日になると四川大地震で犠牲になった看護師のことを思い出す。大災害に国籍は関係ない。命は強くもあり弱くもある。貴重な現在と未来のために頑張って生きていこうと思う
 
 
 
■ 北京さん
 
11年前の今日、兄が日本に留学中だった。両親が兄のことをとても心配していたことを覚えてる。健康で強く生きていこう!
 
 
 
■ 四川さん
 
羽生結弦が仙台ということもあり、東日本大震災のことはいろいろと調べた。でも私自身に大地震の経験がないからどうも実感がわかない
 
 
 
■ 大連さん
 
11年前の今日は大連の事務所で仕事をしてた。隣の会議室で行っていた日本との電話会議が突然切れ、日本人の同僚が地震だと教えてくれた。その後私がネットで現地の情報や映像をいろいろと探し、彼はそれを黙って見てた。日本のどちら出身ですか?と聞いたら、少し間があり、宮城です、と答えてくれた。彼をどのような言葉で慰めればよいのかわからなかった。その後、彼の家族などは皆無事であることが判明した。本当に良かった
 
 
 
■ 上海さん
 
あの日、取引先のアジア太平洋地区責任者が上海から日本に向かう飛行機に乗った。午後5時到着予定が6時間遅れて午後11時に到着したが、出迎えの運転手さんはずっと待っていてくれたそうだ
 
 
   ■ ツイ主さん
 
   あの日東京の人はみんな道路を歩いて帰ったよ
 
 
 
■ 江蘇さん
 
あの日はちょうど東京に出張中だった。震災翌日に無事に飛行機で予定通り帰国出来て本当に良かった
 
 
 
■ 北京さん
 
3月11日は大連空港で北京行きの飛行機を待っていた。その飛行機は仙台から大連経由で北京に向かう便だった
 
(訳者注:震災当日、仙台発大連経由北京行き中国国際航空924便は地震発生6分前の午後2時40分に仙台空港を離陸済みでした)
 
 
 
■ 在日中国さん
 
大学の実験棟の階段に震災でできた大きなひび割れがまだ残ってる
 
 
 
■ 在日中国さん
 
大震災の時は日本にいて、両親が「頼むからすぐに帰ってこい」というので何とかチケットを手にして中国に帰った。そして地震5日後の3月16日に当時の彼氏、現夫と結婚の約束をした。震災を意識したわけではないけど、震災の影響はあったと思う
 
 
   ■ ツイ主さん
 
   私も震災後割とすぐに結婚した
 
 
 
■ 江蘇さん
 
震災で亡くなられた方のご冥福をお祈りします。一日一日を大事に生きていこう!
 
 
 

 
 

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